何故、今ブログを始めるのか

ブログというものが、インターネットで情報を発信するツールとして、主流でなくなって久しい。
 
ブログ全盛期というとせいぜい2005年から2006年くらいの話で(「ブログ」 という言葉は2005年度の流行語大賞に選ばれた)、それ以降はmixiTwitterFacebookの台頭によってしだいに勢いは衰え、今では個人ブログというものは(少なくとも私の周りでは)ほとんど見かけなくなってしまった。
 
Twitterは気軽に情報発信する上では非常に便利なツールだ。ただひとこと書いて投稿してしまえば成立する。それは社会問題についてでもいいし、「今日のカレーは美味しかった」とかでもいい。
その点で言えば、Facebookもかなり気軽に意思表示ができる。長文を書いて投稿するのでは少しハードルも高いかもしれないが、その代わりに自分の意見を見事に代弁してくれてる記事を読んだら「いいね!」ボタンを押せばいいのである。
 
一方のブログは、最近は「いいね!」機能を搭載したものもあるし、一昔前は「web拍手なんてのもあったけれど、それは読み手がブログの記事に対して行うコミュニケーションであって、書き手のほうはブログをただ書くしか表現の方法はなかった。読むほうだって、知り合いのブログ全部がひとつのページにあつまっているのを流し読みするのではなく、わざわざそのブログに飛んで更新をチェックするわけだから、ただ持ってきたニュースを拾って「いいね!」と書くだけではとても定期的に見る気にはなれない。
さらにブログが流行する前はみんなわざわざ日記ひとつのためにHTMLを書いてFTPソフトでサーバーにアップして、なんて作業をしていたわけで、そこまでして公開する記事をただニュースやら面白い動画の紹介やらで終わらせるなんてことはとてもできなかっただろう。
 
結局のところ、SNSの流行がだんだんと簡単なほうへとシフトしていくにつれて私たちは自分の言葉をひねり出して意見を書く必要性にせまられなくなり、「いいね!」したり、せいぜいシェアしたりする位でも表現として受け入れられるようになってきてしまった。
 
そして私は思ったのだ。それでいいのか、と。
 
大学生だからということもあると思うが、私のfacebookのフィードには社会問題、とくに国際社会問題に関する記事のシェアが圧倒的に多い。貧困とか紛争とか、そしてそれらの困難に立ち向かう人の話とかだ。それらは私が知らなかったことや興味のあることに新しい情報を与えてくれるので、「いいね!」したり私もシェアしたりする。Twitterはややおふざけ感が増すが、やっぱり面白いツイートや興味深いツイートはお気に入りに登録するし、RTすることもある。
 
そしてそのあとどうなるのかというと、それっきり忘れてしまうのである。
 
貧困に苦しむ少女の話を覚えていたとしてもその少女がどこの国で暮らしているのかまでは覚えていないし、紛争で兵士として働かされた少年の話は覚えていてもそんなことがあるのだな、ということまでで終わってしまい、世界にはどれだけの数の少年兵士がいるかなんてことはわからないままである。自分がどんな記事にいいね! したのか頻繁に思い出すならまだしも、そんなこともない。ニュースフィードに流れてきた記事にいいね! しようと思ったらもうすでにしていた、なんてことだってある。それならせめて1行でも自分の思ったことを自分の言葉で表現して一緒に残しておこう、と思った次第である。
 
いやいやちょっとまて、それならFacebookでもいいじゃんと思われるかもしれない。確かにFacebookにもシェアと一緒にコメントを残せる機能があるし、そもそもその記事自体にコメントを残せばいいじゃんと思われる人もいるかもしれない。実際
そこであえてブログを始めるのは、ブログの方が自分の率直な意見を書くことができるからである。
 
Facebookっていうのは、「友達」が「友達の友達」にしたコメントなんかも平気で表示してくる。一時期Twitterも「◯◯さんがお気に入りしました」とタイムラインに表示するようにして大バッシングを浴びたが、Facebookにはその機能がデフォルトだ。
で、私とFacebookで友達になった人の中には、最近知り合ってちょっと挨拶したついでに、なんて人もいるし、大学の入学式以来ロクに話してない人なんかもいる。そういう人たちのFacebookになんかエラそーな私のコメントが表示されると思うと抵抗があるし、その抵抗感ゆえに思ったことをそのまま書けないということがある。「いいね!」やコメントの数も気にしてしまう(もちろんそんなの気にしないわって人もいるだろうけれど- ということに関してはまた別なエントリを書こうと思う)。
 
その点ブログなら、わざわざリンクから飛んで読みに来てくれるのは多かれ少なかれ私に興味を持ってくれている人だろうし、「興味ないなら見なきゃいいじゃん」というのがFacebookTwitterよりは通用しやすい。それと同時に、全く身内ではない相手にも意見を公開できる。それに、HTMLでイチからサイトをつくるよりは手軽だ。
手軽な情報発信は確かに人々がつながるのを容易にしたし、リアルの人間関係を構築する手助けもしているけれど、一方でその手軽さゆえに「考えたことを自分の言葉で発信する」ことのハードルを高くしてしまったと思う。そんな時だからこそ、ブログを使って情報発信することのよさが生きるのではないだろうか。