アメリカ全土での同性婚合法化に対して思うこと

 

 アメリカで同性カップルの結婚を禁じるのは違憲とする判決が出た。以前からいくつかの州では同性婚の合法化がされていたはずだが、最高裁判所が認めたことで、今後はアメリカ全土で合法化される。また、「結婚できる」という単純な手続き上の変化だけではなくて、結婚しない/するつもりのない同性愛者たちにとっても喜ばしいことだと思う。社会が同性愛をカップルの形態として承認すべきと裁判所が示したことでもあり、さらに今まで同性愛者たちが受けてきた扱いが権利侵害だということが、公にも認められたことになるからだ。

 それをお祝いするパレードがアメリカのみならずさまざまなところで行われたり、フェイスブックのアイコンをみんな虹色にしてみたりと、各地でちょっとしたお祭り騒ぎになっている。Twitterで「#LoveWins」とつぶやくと虹色のハートがでるようになっていると聞いて、自分も半信半疑でつぶやいてみた。ちっちゃい虹色のハートは可愛かった。

 前述のとおり、この判決で影響を受ける同性カップルにとってはもちろん喜ばしい話だし、そうでなくとも禁止に反対していた人々、どこかで気にかけていた人々にとってはうれしい話だ。今回はアメリカの話ではあるけれど、アメリカがそういう判断をすることで追従する国もたくさん出るだろう。大きな前進であると思う。お祭り騒ぎするのも無理はない。

 

 でも、今回自分はそういうのには加わらないでいようと思う。理由はいくつかあって、まず、自分はこれをお祝いできるほど同性婚が認められるように努力してきたわけじゃないということだ。関心はもっていたけれど、意見を発信したり、ほかの人を巻き込んで何かをしてきたわけじゃない。「やったー!」と勝ち誇ってLoveWinsと叫ぶよりは、今まで頑張ってきた人、耐え忍んできた人々におめでとうと言うべき外側の人間だ—―いや、むしろ、今まで傍観してきたことを反省しなければならない、もっと外側の人間なのかもしれない。

 ふたつめの理由は、なんとなく今回のお祭り騒ぎに違和感を抱く点があるからだ。「これは "愛の勝利" なのか?」ということである。興ざめなことを言うようだけれど、同性カップルの結婚は差別問題、人権問題だ。同性婚が合法化したのはそれが差別に基づく人権侵害だとアメリカが判断したからであり、別に愛の力が "勝った" わけではないし、まだ同性婚が合法化してない国では、同性愛者が愛を示せば "勝てる" わけでもない。もちろん、愛があるからここまで頑張れた人々もいるんだろうし、そういう人にとっては愛の勝利と言っても差支えないんだろうけど、外側の取り巻きとして突っ立っていただけの自分が「愛の勝利」と言ってしまったら誤解が生じるのではないかと思う。あえて勝利という言葉をつかうなら、近代的自由と平等の勝利――の方が、自分にとっては違和感がない。

 そしてみっつめの理由は―これはまだゴールではないということだ。この件は、より多くの人が同性愛者の権利が侵害されているのか考えるきっかけになったと思うし、私にとってもそうだけれど、そのことについて今後も考え続けなければいけないと感じる。そして、日本ではまだ同性婚が認められていないことに対してNOと言い続けなければならない。

 

 念のため書いておくけれど、喜びの度合いは人それぞれだし、お祝いの表現の仕方も人それぞれでいい。今回も自分の意見をつらつらと書いたけれど、そもそもこんなこと他人にああしろこうしろと言うことでも言われることでもなくて、「~なければならない」と書いたのは自分が自分に対してそう思っているというだけであり、みんなそうしろと思っているわけではない。それにアイコンを虹色にするっていうのは自分の立場を周囲の人に発信するいい手段だと思っている(ただ、熱心な人もただ便乗しただけの人もみんな一様の虹色になるから、いろいろ言う人もいるんだろうとは思うけど)。

 自分はせっかくブログを持っているので、ブログで「今回の判決を嬉しく思う」と書くことで自分の意見を表明することにした。そして今回のことをきっかけに、単なる取り巻きであることをやめて、権利侵害に対して考えを示していきたいと思っている――まずは文章の練習をしなくちゃな。

 

*7/20 タイトルが「同性愛合法化」になっていたことに気づき、訂正。