トリコロールアイコンへの私見


以前このブログで、FBにかつてあふれたレインボーアイコンに対する私見を書いた。あの時みんなが揃いも揃ってアイコンを変えたことには、アメリカ最高裁判所での同性カップルに対する結婚を認める判決が出たことへのお祝いの意味がこもっていた。

FBを利用する人なら、数日前ニュースフィードにトリコロールの三色アイコンがあふれたことはご存知だろう。今回は任意の時間が経つと勝手に元のアイコンに戻るようになっていたので落ち着くのも早かったが、一時友人リストが似たようなアイコンの人ばかりになったのは六月のレインボーアイコンの件を彷彿とさせるものがあった。

ただ、アイコンの色が変わるということは同じでも、トリコロールの三色と虹色では意味合いが全く異なってしまうことは、もうすでに何人もの人が指摘してくださっている通りである。

私は別に、「シリアやイラクで毎日起きている惨劇をよそに、パリの時だけ騒ぐのはおかしい」というようなことは言いたくない――彼らが紛争地域の現状を想像したこともないとか、意図的に無視しているとは思わない。

ただでさえ多くの人が人生で一度は憧れを抱く街、パリだ。その地への親しみ度合いは人それぞれであろうが、シリアの首都の名は知らなくともパリの名を知っている人のほうが多いだろう。

そしてパリは紛争地域ではなかった。ちょうど、日本にいる私たちがシリア紛争を他人事として感じることができていたのと同じように、パリの人々もシリア紛争で自分たちの命が脅かされているとは思っていなかっただろう。
そのパリで、129もの無辜の人々の命が奪われた。シリア周辺を支配するISIS(いわゆるイスラム国)メンバーの手によって。

いままでずっと遠い出来事だったシリア紛争が、自分たちの知っている、そして安全と思っていた地域にも飛び火した。そのことが人々に与える衝撃は、残念ながらシリアで毎日起こっている惨劇が人々に与える影響よりも大きかった。

つまり、パリの平和と安全を願うことは、自分たちの平和と安全を願うことにもつながっているのだ。今回亡くなった人々に、自分や自分の親しい人を重ねている人は決して少なくないだろう。

もちろん、心理的に近しい地域だからといってパリのことばかり気にかけるのはおかしいのでは、と問題提起していくことは必要なことだ。でも、人情を考えると、アイコンを変えた人々を、それを理由に責める気にはとてもなれない。

それに、パリの平和と安全を願うことが、必ずしもシリアの平和と安全を願わないことにはつながらないし、今回の事件で胸を痛めた人ならば、シリア地域の現状に胸を痛める心もきっと持っているだろう。

でも……でもまだ、疑問に思うことがある。

レインボーアイコンの時に「お祝いの仕方は人それぞれ」と述べたように、祈りの表し方も人それぞれであるべきだろう。別にツイッターに「黙祷」って書いてもいい。

ただ、アイコンをフランスの象徴たる国旗にすることは、あまりにも挑発的すぎるのではないか、と感じたのだ。

もちろん、挑発されたからといってその挑発に乗って良いわけではないし、まして暴力を以って――罪のない人々の命を人質にして対抗するなど、許されて良いわけがない。そのことは前提としてある。

ただ、シリアに日ごろ爆弾を落としている航空機の中にはフランスの国旗を冠した空爆機もあるだろうし、シャルリー・エブド紙の風刺画掲載を擁護したのもフランス政府だ(もちろんフランスだけじゃないけど)。

命や尊厳を脅かされている人々はパリだけにいるわけじゃない。むしろ、それらをフランス国旗のもとに脅かされている人々がいる……そう考えると、平和への祈りをフランス国旗というかたちで表すのはあまりに軽率ではないかという思いがちらと脳裏をかすめる。それどころか、パリの被害者たちですら、フランス国旗のもとに殺されたのではないだろうか? それはいいすぎか。それにしても、アイコンをトリコロールに変えることが、果たして平和への祈りを表明するのに適した方法なのか、疑問が残る。